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ハザールマフィアの陰謀…岩戸開き

五十音言霊原理を身に付けハザールマフィアの陰謀=資本の論理を打ち砕き共存共栄の道に進もう!

『外事警察概況』が報告するメーソン結社

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『外事警察概況』が報告するメーソン結社…結社は治外法権の特権を得ていた
『外事警察概況』(内務省警保局編昭和17年報告)によると、「我が国に於けるフリーメーソンは、横浜、東京、神戸の三市に在住し、いづれも幕末乃至明治初年頃結成せられたるのなる」としており、されに「結社員間に於いて、伊藤博文公総理大臣当時、日本人を加盟せしめざる条件の下に結社組織を黙認されたりと称し居り、慣習的に治外法権を有するものと主張し、其の従来帝国の国際的地位は英米其の他諸外国の重圧下にあり、強いて之が取締りを敢行せんか、不測の国際問題を惹起する恐れあり」と記しています。
そして、日本がメーソン検挙に踏み切ったのは、実に昭和十六年の大東亜戦の開戦を待ってです。
この『外事警察概況』は、日本国内におけるメーソン結社の特権的地位をうかがわせてくれます。
このメーソンは、幕末の開国と明治維新という日本の歴史上の大事件に関わり、結果的に天皇制絶対主義国家を成立させ正神界の神々の封印に一定の役割を果たしていたのです。
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維新の立役者たちを指導したフルベッキ牧師

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維新の立役者たちを指導したフルベッキ牧師…アメリカの「独立宣言」を教授
 一八五九年長崎に牧師として来日在住したアメリカ出身(法的には無国籍)のオランダ人フルベッキ牧師は、一八六五年長崎府新町に済美館を設立し、幕末から明治初頭に伊藤博文、大久保利通、大隈重信、副島種臣等多くの塾生を指導しました。
 フルベッキは、アメリカのオランダ改革派教会から長崎に派遣された牧師でしたが、布教のかたわら英語、法律、政治、経済、西洋技術を教えました。
 アメリカの「独立宣言」は、トマス・ジェファーソンが起草し、一七七六年に採択されたものですが、彼を含めてこれに協力したジョン・アダムスとベンジャミン・フランクリンはいずれもメーソンです。
 フルベッキ牧師に指導を受けた、維新の立役者の一人であった大隈重信は「余は北米合衆国が英に叛いて独立した往時の宣言文を読んで、始めて泰西人の謂ゆる自由権利というものの真意を解し、彼の文物制度頗る我に優過する所あるを覚り、ひそかに之を移植せんとの志望を懐きたり」と述べています。

武器商人グラバーは、雄藩連合の背景で動いたメーソン!

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勲二等旭日章に輝く武器商人グラバーは、雄藩連合の背景で動いたメーソン!
 グラバーは明治二十六年、三菱商事の特別役員に就任し財界に根を張り、一九〇八年には、勲二等旭日章の栄誉を受けました。
 伊藤博文、井上馨の連名によるグラバーの叙勲奏請書草案によると「要するにグラバーが薩長二藩のために尽くしたる所は、即ち王政復古の大事業に向って貢献したるものなり。彼が英公使パークスに対して薩長二藩と親善の関係を開かんことを勧説したる大意に謂う、熟々日本の形態を察するに徳川幕府の威権日に衰え、大君に委任されるたる政権は将に御門に復帰せんとするの傾向あり、此大勢に乗じて事を成すの権力は西南の大名にあり、今の仏国は徳川をたすけてその覇権を強固に謀らんとするも、英国はよろしく薩長二藩に結びてその事業を幇助すべし云々と。これグラバの従来の自信なり。彼素より営利の商人なれども、その自信の方針を貫徹せんとせば、勢い営利の範囲を脱して誠意と熱意とを以て事に当らざるを得ず」と述べています。
 グラバーは、単なる商人ではなく、薩長と英を結びつけ、西南雄藩に艦船・武器の調達を行い倒幕運動に大きな役割を果たしたのです。
グラバーは、イギリスの対日外交の影で重要な役割を果たしていたのです。
グラバーが来日した当時、長崎の出島にはメーソンロッジがすでに存在してようです。
近代日本の幕上げの明治維新には、メーソンとロスチャイルドの影が付き添っていたのです。

明治維新に上陸した列強の魔物

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明治維新に上陸した列強の魔物…型国日本に忍び寄る世界支配者層の魔の手
長崎の渡来した貿易商人グラバーは、一八五九年より日本での活動を開始し、上海のジャーディン・マセソン大商会の実質的日本支店であるグラバー商会を開設しました。
ジャーディン・マセソン商会は、中国への麻薬貿易を資金源として活動していた商社で、東インド会社の利権を引き継ぎ、一八四一年には香港を拠点に置き、日本には一八五九年に横浜に支店を持ち、一八六〇年には東アジア最大の貿易商人となって行きました。
ジャーディン・マセソン商会は、アヘン王サッスーン一族がリーダーとなって、一八六四年に設立した「香港上海銀行」から資金を調達し東洋貿易を取り仕切り発展していきました。
幕末日本の支配権をめぐり競い合っていたロシア・フランス・オランダを出し抜いて倒幕を支えたのはイギリスでした。
イギリスの外交官アーネスト・サトウは、「われわれイギリス人は、これらの競争国よりもいっそう注意深く日本国民の脈をとって、政治上の容態を診断していたので、1868年、1869年におけるイギリス公使の威信は全く素晴らしかった」(『一外交官の見た明治維新』)と述べ幕末から維新期におけるイギリスの対日政策の成功を自賛している。
当時イギリスは、日本の諸情勢を分析し表向きは幕府と雄藩の対立に対し中立の立場をとりつつも、天皇中心いた雄藩連合政権を実現させる方針でした。
1866年「公武合体」路線の核となる徳川家茂・考明天皇が相次いで死去しました。両者ともその死には毒殺説の流布がありました。
サトウとグラバーとは、坂本龍馬を筆頭に開国派の志士いに多大な影響を与え、倒幕運動に黒子の力を発揮しています。
坂本龍馬は、後に、将軍徳川慶喜に武力革命倒幕派の機先を制する大政奉還策をとらせ、無血革命の立場に立ちましたが、彼もまた暗殺されました。

アジアへ進出する列強国と魔の機関による開国と文明開化

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アジアへ進出する列強国と魔の機関による開国と文明開化
 イギリスは、十八世紀後半に他国に先駆けて産業革命を達成し、東インド会社を尖兵としてアジア・アフリカに侵略を開始しました。
 イギリスの帝国主義による植民地拡大の歴史的膨張は、フリーメイソンの爆発的拡大の歴史と表裏一体ぴったり重なっています。
 一八二四年オランダは、英蘭協定によりインドシナ地域を勢力圏とし、イギリスは、マレー半島を支配しました。
 その後オランダは、二十世紀初頭までにインドシナ全域を支配化に置きました。
 イギリスは、清国との貿易にインドで強制栽培したケシからアヘンを作り、これを清国へ輸出し、麻薬貿易で黒字を生み出しアジアから銀を吸い上げていきました。
 清国は、これに対抗しアヘン貿易を厳禁しましたが、一八四二年イギリスの武力により制圧され、南京条約を押し付けられ多くの利権をむしり取られました。
 この戦争の契機となった清国にアヘン輸出を受け持ち厖大な富を築いたのが、アヘン王と呼ばれたサッスーンなどのユダヤ財閥でした。
 サッスーン一族は、ロスチャイルド家と血縁を結び、ロスチャイルド財閥の血脈に入り込んでいます。
 この戦争を契機に一八四四年アメリカ・フランスも清朝と同様の不平等条約を締結し、ここに欧米列強による中国の半植民地支配化が始まりました。
 この戦争を機にフリーメーソンは香港に、イングランド系の「ロイヤル・サセックス結社」を設立、のちに上海に拠点を移し中国大陸進出の要になりました。
 一八五一年清朝打倒の革命運動である太平天国の乱が起り、洪秀全により一八五三年南京を攻略し革命政権を樹立しました。 一八六四年、メーソンのイギリス将校ゴードン将軍が、太平天国運動を崩壊し上海を守りました。
 アメリカは、アジア侵略の太平洋海路の拠点として寄港地を確保するため、日本に照準を定めました。