右翼革命の悪夢
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mistoshi
王仁三郎の「ワシントン海軍軍縮条約廃止運動」…右翼革命の悪夢
『大本70年史』によると満州事変の当時、満州独立国をつくるため共和制国家建国派と宣統帝溥儀(清朝最後の皇帝)擁立の清朝復辟派が拮抗していたが、復辟派の中心人物は、ほとんどが世界紅卍会員であり、人類愛善会関係者達であったと記している。
満蒙に宣統帝溥儀を擁立し独立国を建国しようとしていたグループのほとんどは、道院・世界紅卍会員であり、その会員は王仁三郎を救世主と信じ、王仁三郎の言動は神の意志と信奉していた。
欧米帝国主義者(世界支配者層)は、日本の満蒙の権益を牽制して東アジアを植民下に置かんとしていた。
当時、王仁三郎は、満州独立国を画策する宣統帝溥儀の側近達の世界紅卍会員を自在に動かすことができた。
その王仁三郎が、日本国内において、シベリア独立運動への援助、満州皇帝溥儀擁立計画、ドイツのヒットラー政権を支持する等の運動を推進し、さらに昭和神聖会(統管王仁三郎・副統管内田良平等)を率いてワシントン条約廃棄運動を展開し始めていた。
そして昭和神聖会発足の翌年の1935年には、昭和神聖会は地方本部25、支部414までに成長し、右翼団体、軍人を巻き込み賛同者800万人を超えるまでに至っていた。
王仁三郎は、世界的規模に広がった組織力を背景に、当時の最大の右翼黒龍会の内田良平(大日本生産党の頭首)・頭山満(玄洋社の総師・黒龍会顧問)、陸軍皇道派への資金援助者で「重臣ブロック」排撃論者の新興財閥政治家久原房之介、陸軍クーデター未遂事件(1931年の3月事件・10月事件)の画策者橋本欽五郎等と呼応するかのように、反権力者側に陣取って運動を推進していた。
当時に新聞は、「黒龍会と大本教と堅い握手、神聖同盟を結成」、「満州、朝鮮、支那にある紘卍会と提携している東洋的一大勢力」と報道している。当時王仁三郎の率いる皇道大本は、1935年の弾圧時には、大本分所支部1990、大本別院27、分院分社41、人類愛善支部1262、昭和青年会支部558、昭和坤生会支部371、武道宣揚会支部129、人類愛善会海外本部5(パリ・奉天・京城・ブラジル・シャム)、海外の大本支部120、人類愛善新聞支社339の教勢を誇っていた。
昭和神聖会の政治運動は、同会発足の年に「ワシントン海軍軍縮条約廃止運動」を開始、翌1935年2月27日からは「天皇機関説撲滅運動」を展開し、時の政治権力闘争に積極的に絡んで行った。
王仁三郎は、日本を偏狭なまでの軍国主義国家として国際社会へ進出しておくべき道程の先導役を演じて行った。
王仁三郎の天皇制絶対主義国家の立替え神劇は、日本の満蒙権益拡大政策を支持し、政治権力を政党政治から軍事政権に移行させ、欧米列強支配層の世界支配体制であるワシントン体制と対峙させ、明治期・大正期にすでに予言していた日米戦により、米国の武力をもって日本を立て替えることであった。
王仁三郎の演じた皇道大本の波状的活動は、時の日本の権力支配者層をして、得体の知れない不気味な「右翼革命」の危機を抱かせるに十分すぎるものであった。
王仁三郎率いる皇道大本の世界的規模の活動は、日本と世界の支配者層にとって、世界支配体制の存在基盤そのものを根底から揺るがしかねない異様な団体として彼等の前に立ちはだかって来たのであった。
『大本70年史』によると満州事変の当時、満州独立国をつくるため共和制国家建国派と宣統帝溥儀(清朝最後の皇帝)擁立の清朝復辟派が拮抗していたが、復辟派の中心人物は、ほとんどが世界紅卍会員であり、人類愛善会関係者達であったと記している。
満蒙に宣統帝溥儀を擁立し独立国を建国しようとしていたグループのほとんどは、道院・世界紅卍会員であり、その会員は王仁三郎を救世主と信じ、王仁三郎の言動は神の意志と信奉していた。
欧米帝国主義者(世界支配者層)は、日本の満蒙の権益を牽制して東アジアを植民下に置かんとしていた。
当時、王仁三郎は、満州独立国を画策する宣統帝溥儀の側近達の世界紅卍会員を自在に動かすことができた。
その王仁三郎が、日本国内において、シベリア独立運動への援助、満州皇帝溥儀擁立計画、ドイツのヒットラー政権を支持する等の運動を推進し、さらに昭和神聖会(統管王仁三郎・副統管内田良平等)を率いてワシントン条約廃棄運動を展開し始めていた。
そして昭和神聖会発足の翌年の1935年には、昭和神聖会は地方本部25、支部414までに成長し、右翼団体、軍人を巻き込み賛同者800万人を超えるまでに至っていた。
王仁三郎は、世界的規模に広がった組織力を背景に、当時の最大の右翼黒龍会の内田良平(大日本生産党の頭首)・頭山満(玄洋社の総師・黒龍会顧問)、陸軍皇道派への資金援助者で「重臣ブロック」排撃論者の新興財閥政治家久原房之介、陸軍クーデター未遂事件(1931年の3月事件・10月事件)の画策者橋本欽五郎等と呼応するかのように、反権力者側に陣取って運動を推進していた。
当時に新聞は、「黒龍会と大本教と堅い握手、神聖同盟を結成」、「満州、朝鮮、支那にある紘卍会と提携している東洋的一大勢力」と報道している。当時王仁三郎の率いる皇道大本は、1935年の弾圧時には、大本分所支部1990、大本別院27、分院分社41、人類愛善支部1262、昭和青年会支部558、昭和坤生会支部371、武道宣揚会支部129、人類愛善会海外本部5(パリ・奉天・京城・ブラジル・シャム)、海外の大本支部120、人類愛善新聞支社339の教勢を誇っていた。
昭和神聖会の政治運動は、同会発足の年に「ワシントン海軍軍縮条約廃止運動」を開始、翌1935年2月27日からは「天皇機関説撲滅運動」を展開し、時の政治権力闘争に積極的に絡んで行った。
王仁三郎は、日本を偏狭なまでの軍国主義国家として国際社会へ進出しておくべき道程の先導役を演じて行った。
王仁三郎の天皇制絶対主義国家の立替え神劇は、日本の満蒙権益拡大政策を支持し、政治権力を政党政治から軍事政権に移行させ、欧米列強支配層の世界支配体制であるワシントン体制と対峙させ、明治期・大正期にすでに予言していた日米戦により、米国の武力をもって日本を立て替えることであった。
王仁三郎の演じた皇道大本の波状的活動は、時の日本の権力支配者層をして、得体の知れない不気味な「右翼革命」の危機を抱かせるに十分すぎるものであった。
王仁三郎率いる皇道大本の世界的規模の活動は、日本と世界の支配者層にとって、世界支配体制の存在基盤そのものを根底から揺るがしかねない異様な団体として彼等の前に立ちはだかって来たのであった。
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欧州協調派の奥の院
mistoshi
欧州協調派の奥の院…ワシントン体制派はメーソンの高位階級員.2
アメリカが1921年に会議を設定したのは、日本の中国進出を支える日英同盟が満期になる年に着目して、これ廃棄させて東アジアにおける新たな列強の利権確保を意図したものであろう。
ワシントン会議のアメリカ代表ヒューズ国務長官は、ロックフェラーのスタンダード石油の顧問弁護士であり、イギリス代表のバルフォア卿は、ロスチャイルドの代理人にしてシオニストである等、彼等はいずれも国際金融資本の代理人達であった。
バルフォア卿は、1917年11月2日、いわゆる「バルフォア宣言」(ロスチャイルド卿あての書簡)によりパレスチナにユダヤ人の入植を認める宣言を発した人物である。
日本全権は海相・加藤友三郎、貴族院議長・徳川家達、駐米大使・幣原喜重郎等であったが、加藤は首相原敬に日本全権の人選に「斎藤実はどうか?」と斎藤を推していたという。
ワシントン会議では、太平洋諸島に関するアメリカ・イギリス・フランス・日本の4カ国条約が締結され、これによって日英同盟は廃棄された。
1922年、イタリア・中国など5カ国を加えた9カ国条約が結ばれ、中国の領土と主権の尊重、中国における各国の経済上の機会均等などが約束された。
さらに同年、米・英・仏・伊・日の5大国の間に海軍軍縮条約(5カ国条約)が結ばれ、主力艦保有比率が定められた。
1921年11月~22年2月のワシントン会議でワシントン体制の基礎が確立した。
しかし、満蒙権益の主要部分は日本が従来どおり確保するという暗黙の了解を得た形となった。さt、日本国内のワシントン体制派には、一つの共通項があった。
外事警察は、1937年日本のフリーメイソンについての調査概要の中で、「横浜市居住アルメニア人ミカエル・アプカーはスコットランド派の有力会員なるが同人の語る所によれば『原則として日本人もメーソンに加入することが出来る然し之に関しては日本に最初のフリーメイソンが出来る時「メーソンは秘密結社であるから日本人を加入せしめては困る故日本人を加入せしめない」と云う条件でメーソン開設を許すとの外務省提言があり現在まで日本人を加入せしまない方針である。然し日本人でも外国に於いては加入が出来る例えば林薫、林權助、加藤高明、若槻礼次郎等は英国在留中加入し相当な階級まで達してゐられる…と容疑言動を洩らせり』」(『外事警察概況』)と報告している。
私達は、ワシントン体制が、メーソンの高位階級員であったことを忘れてはならない。そして、王仁三郎が、憲兵隊が入手した秘密文書に第二次大本弾圧は「ロンドン、ワシントン条約、天皇機関説に反対したとの理由によって弾圧したと記されてあった」と述べていることに注目すべきである。
アメリカが1921年に会議を設定したのは、日本の中国進出を支える日英同盟が満期になる年に着目して、これ廃棄させて東アジアにおける新たな列強の利権確保を意図したものであろう。
ワシントン会議のアメリカ代表ヒューズ国務長官は、ロックフェラーのスタンダード石油の顧問弁護士であり、イギリス代表のバルフォア卿は、ロスチャイルドの代理人にしてシオニストである等、彼等はいずれも国際金融資本の代理人達であった。
バルフォア卿は、1917年11月2日、いわゆる「バルフォア宣言」(ロスチャイルド卿あての書簡)によりパレスチナにユダヤ人の入植を認める宣言を発した人物である。
日本全権は海相・加藤友三郎、貴族院議長・徳川家達、駐米大使・幣原喜重郎等であったが、加藤は首相原敬に日本全権の人選に「斎藤実はどうか?」と斎藤を推していたという。
ワシントン会議では、太平洋諸島に関するアメリカ・イギリス・フランス・日本の4カ国条約が締結され、これによって日英同盟は廃棄された。
1922年、イタリア・中国など5カ国を加えた9カ国条約が結ばれ、中国の領土と主権の尊重、中国における各国の経済上の機会均等などが約束された。
さらに同年、米・英・仏・伊・日の5大国の間に海軍軍縮条約(5カ国条約)が結ばれ、主力艦保有比率が定められた。
1921年11月~22年2月のワシントン会議でワシントン体制の基礎が確立した。
しかし、満蒙権益の主要部分は日本が従来どおり確保するという暗黙の了解を得た形となった。さt、日本国内のワシントン体制派には、一つの共通項があった。
外事警察は、1937年日本のフリーメイソンについての調査概要の中で、「横浜市居住アルメニア人ミカエル・アプカーはスコットランド派の有力会員なるが同人の語る所によれば『原則として日本人もメーソンに加入することが出来る然し之に関しては日本に最初のフリーメイソンが出来る時「メーソンは秘密結社であるから日本人を加入せしめては困る故日本人を加入せしめない」と云う条件でメーソン開設を許すとの外務省提言があり現在まで日本人を加入せしまない方針である。然し日本人でも外国に於いては加入が出来る例えば林薫、林權助、加藤高明、若槻礼次郎等は英国在留中加入し相当な階級まで達してゐられる…と容疑言動を洩らせり』」(『外事警察概況』)と報告している。
私達は、ワシントン体制が、メーソンの高位階級員であったことを忘れてはならない。そして、王仁三郎が、憲兵隊が入手した秘密文書に第二次大本弾圧は「ロンドン、ワシントン条約、天皇機関説に反対したとの理由によって弾圧したと記されてあった」と述べていることに注目すべきである。
ワシントン体制派はメーソンの高位階級員
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欧州協調派の奥の院…ワシントン体制派はメーソンの高位階級員.2
アメリカが1921年に会議を設定したのは、日本の中国進出を支える日英同盟が満期になる年に着目して、これ廃棄させて東アジアにおける新たな列強の利権確保を意図したものであろう。
ワシントン会議のアメリカ代表ヒューズ国務長官は、ロックフェラーのスタンダード石油の顧問弁護士であり、イギリス代表のバルフォア卿は、ロスチャイルドの代理人にしてシオニストである等、彼等はいずれも国際金融資本の代理人達であった。
バルフォア卿は、1917年11月2日、いわゆる「バルフォア宣言」(ロスチャイルド卿あての書簡)によりパレスチナにユダヤ人の入植を認める宣言を発した人物である。
日本全権は海相・加藤友三郎、貴族院議長・徳川家達、駐米大使・幣原喜重郎等であったが、加藤は首相原敬に日本全権の人選に「斎藤実はどうか?」と斎藤を推していたという。
ワシントン会議では、太平洋諸島に関するアメリカ・イギリス・フランス・日本の4カ国条約が締結され、これによって日英同盟は廃棄された。
1922年、イタリア・中国など5カ国を加えた9カ国条約が結ばれ、中国の領土と主権の尊重、中国における各国の経済上の機会均等などが約束された。
さらに同年、米・英・仏・伊・日の5大国の間に海軍軍縮条約(5カ国条約)が結ばれ、主力艦保有比率が定められた。
1921年11月~22年2月のワシントン会議でワシントン体制の基礎が確立した。
しかし、満蒙権益の主要部分は日本が従来どおり確保するという暗黙の了解を得た形となった。さt、日本国内のワシントン体制派には、一つの共通項があった。
外事警察は、1937年日本のフリーメイソンについての調査概要の中で、「横浜市居住アルメニア人ミカエル・アプカーはスコットランド派の有力会員なるが同人の語る所によれば『原則として日本人もメーソンに加入することが出来る然し之に関しては日本に最初のフリーメイソンが出来る時「メーソンは秘密結社であるから日本人を加入せしめては困る故日本人を加入せしめない」と云う条件でメーソン開設を許すとの外務省提言があり現在まで日本人を加入せしまない方針である。然し日本人でも外国に於いては加入が出来る例えば林薫、林權助、加藤高明、若槻礼次郎等は英国在留中加入し相当な階級まで達してゐられる…と容疑言動を洩らせり』」(『外事警察概況』)と報告している。
私達は、ワシントン体制が、メーソンの高位階級員であったことを忘れてはならない。そして、王仁三郎が、憲兵隊が入手した秘密文書に第二次大本弾圧は「ロンドン、ワシントン条約、天皇機関説に反対したとの理由によって弾圧したと記されてあった」と述べていることに注目すべきである。
アメリカが1921年に会議を設定したのは、日本の中国進出を支える日英同盟が満期になる年に着目して、これ廃棄させて東アジアにおける新たな列強の利権確保を意図したものであろう。
ワシントン会議のアメリカ代表ヒューズ国務長官は、ロックフェラーのスタンダード石油の顧問弁護士であり、イギリス代表のバルフォア卿は、ロスチャイルドの代理人にしてシオニストである等、彼等はいずれも国際金融資本の代理人達であった。
バルフォア卿は、1917年11月2日、いわゆる「バルフォア宣言」(ロスチャイルド卿あての書簡)によりパレスチナにユダヤ人の入植を認める宣言を発した人物である。
日本全権は海相・加藤友三郎、貴族院議長・徳川家達、駐米大使・幣原喜重郎等であったが、加藤は首相原敬に日本全権の人選に「斎藤実はどうか?」と斎藤を推していたという。
ワシントン会議では、太平洋諸島に関するアメリカ・イギリス・フランス・日本の4カ国条約が締結され、これによって日英同盟は廃棄された。
1922年、イタリア・中国など5カ国を加えた9カ国条約が結ばれ、中国の領土と主権の尊重、中国における各国の経済上の機会均等などが約束された。
さらに同年、米・英・仏・伊・日の5大国の間に海軍軍縮条約(5カ国条約)が結ばれ、主力艦保有比率が定められた。
1921年11月~22年2月のワシントン会議でワシントン体制の基礎が確立した。
しかし、満蒙権益の主要部分は日本が従来どおり確保するという暗黙の了解を得た形となった。さt、日本国内のワシントン体制派には、一つの共通項があった。
外事警察は、1937年日本のフリーメイソンについての調査概要の中で、「横浜市居住アルメニア人ミカエル・アプカーはスコットランド派の有力会員なるが同人の語る所によれば『原則として日本人もメーソンに加入することが出来る然し之に関しては日本に最初のフリーメイソンが出来る時「メーソンは秘密結社であるから日本人を加入せしめては困る故日本人を加入せしめない」と云う条件でメーソン開設を許すとの外務省提言があり現在まで日本人を加入せしまない方針である。然し日本人でも外国に於いては加入が出来る例えば林薫、林權助、加藤高明、若槻礼次郎等は英国在留中加入し相当な階級まで達してゐられる…と容疑言動を洩らせり』」(『外事警察概況』)と報告している。
私達は、ワシントン体制が、メーソンの高位階級員であったことを忘れてはならない。そして、王仁三郎が、憲兵隊が入手した秘密文書に第二次大本弾圧は「ロンドン、ワシントン条約、天皇機関説に反対したとの理由によって弾圧したと記されてあった」と述べていることに注目すべきである。
欧州協調派の奥の院
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欧州協調派の奥の院…ワシントン体制派はメーソンの高位階級員
王仁三郎が、皇道大本の全勢力を結集し、軍人・右翼たの国粋主義者と連携して、ロンドン条約、ワシントン条約反対派に位置したということは、第一次世界大戦後の国際金融資本家等の進めて東アジア・太平洋地域の国際秩序であるワシントン体制(世界支配戦略路線)に異議を唱えたこととなる。
そもそもワシントン体制の本質は、欧米諸国の支配者層が、中国大陸における彼等の利権確保のため、満蒙地区における日本の権益拡大を牽制したものであろう。
米国は、実に日清戦争が終わってまもない1897年(明治30年)に、すでに極秘で日本を仮想敵国とした対日戦略プログラム「オレンジ計画」を策定し、以後、定期的に改訂を重ねていた。
米国は、地政学的に日米戦が勃発することを前提とし、開戦の根本理由が極東の土地、人資源の支配をもくろむ日本の領土拡大政策であることを想定し、海上封鎖から日本国土の空爆に至る戦略方針を1906年(明治39年)~1914年(大正3年)という時期に定めていたのである。
王仁三郎もまた、当時はまったく知られていないはずの「オレンジ計画」に呼応するかのように明治後半あるいは、少なくとも大正初期には、すでに日中戦争から日米戦の移行、終盤のロシアの参戦による日本の敗戦を予言した歌(『いるは歌』・『大本神歌』)を詠んでいる。
大本は、1917年、1918年と『神霊界』誌上にこの予言詩を発表し、1919年から1920年頃には、①世界の立替として日本対世界の大戦争が起こる、②世界戦の前哨戦としてキリスト教でいうハルマゲドンの戦いとして、日本とアメリカの大戦争が起こる、との宣歌(「大正10年立替え説」)を展開した。
王仁三郎は、日米戦の予言流布を当局より禁止するよう警告を受けていたにも関わらず、この予言文書を、1921年『瑞能神歌』として刊行し、同年2月12日弾圧(第一次大本事件)を受けた。
ワシントン会議の開催された年の2月、皇道大本は一度目の弾圧を受けたのである。
ワシントン会議のアメリカの目的は、軍事協定により米・英・日の建艦競争を終わらせる自国の財政負担を軽減させると同時に、東アジアにおける日本の利権拡大を抑制することにあった。
王仁三郎が、皇道大本の全勢力を結集し、軍人・右翼たの国粋主義者と連携して、ロンドン条約、ワシントン条約反対派に位置したということは、第一次世界大戦後の国際金融資本家等の進めて東アジア・太平洋地域の国際秩序であるワシントン体制(世界支配戦略路線)に異議を唱えたこととなる。
そもそもワシントン体制の本質は、欧米諸国の支配者層が、中国大陸における彼等の利権確保のため、満蒙地区における日本の権益拡大を牽制したものであろう。
米国は、実に日清戦争が終わってまもない1897年(明治30年)に、すでに極秘で日本を仮想敵国とした対日戦略プログラム「オレンジ計画」を策定し、以後、定期的に改訂を重ねていた。
米国は、地政学的に日米戦が勃発することを前提とし、開戦の根本理由が極東の土地、人資源の支配をもくろむ日本の領土拡大政策であることを想定し、海上封鎖から日本国土の空爆に至る戦略方針を1906年(明治39年)~1914年(大正3年)という時期に定めていたのである。
王仁三郎もまた、当時はまったく知られていないはずの「オレンジ計画」に呼応するかのように明治後半あるいは、少なくとも大正初期には、すでに日中戦争から日米戦の移行、終盤のロシアの参戦による日本の敗戦を予言した歌(『いるは歌』・『大本神歌』)を詠んでいる。
大本は、1917年、1918年と『神霊界』誌上にこの予言詩を発表し、1919年から1920年頃には、①世界の立替として日本対世界の大戦争が起こる、②世界戦の前哨戦としてキリスト教でいうハルマゲドンの戦いとして、日本とアメリカの大戦争が起こる、との宣歌(「大正10年立替え説」)を展開した。
王仁三郎は、日米戦の予言流布を当局より禁止するよう警告を受けていたにも関わらず、この予言文書を、1921年『瑞能神歌』として刊行し、同年2月12日弾圧(第一次大本事件)を受けた。
ワシントン会議の開催された年の2月、皇道大本は一度目の弾圧を受けたのである。
ワシントン会議のアメリカの目的は、軍事協定により米・英・日の建艦競争を終わらせる自国の財政負担を軽減させると同時に、東アジアにおける日本の利権拡大を抑制することにあった。
神国日本VSフリーメイソン.2
mistoshi
皇道大本の反フリーメイソン運動…神国日本VSフリーメイソン.2
一、日本の非常時大国難の真相は、欧米列強よりもフリーメーソンの魔の手である。
「現在日本に在住してゐる猶太人は1千名に過ぎませんが、政界、学会、財界、或は思想界、映画界の有力者が多く、その後ろには全世界の猶太人が控えてゐるのです。加えるに彼等の金権に糸を引く財閥があり、彼等の政治、民政乃至議会中心主義、天皇機関説を謳歌する学閥があり政党があり大臣があり、又ダーウィンやマルクスの熱心なお弟子である赤い大学教授があり、赤や桃の学生があります。のみならず彼等フリーメーソンの忠実なる犬となり馬となって、命がけで国体破壊に活躍する共産主義があり、彼等の金力い操られ易い大小の新聞があるのであります。斯く観じ来れば日本の非常事態国難は、米国よりも、ロシアよりも、英吉利よりもフリーメーソンの魔の手にあると覚るべきであります」
一、フリーメーソンは、アメリカを拠点として三S制作により日本を内側から崩さんとしている。
「フリーメーソンが日本を倒さんとして現在最も力を注ぎつつあるものがスポーツ、セックス、スクリーンの三S政策であります」と述べて各論を展開した後、「右の三S政策は主としてアメリカより流れ込んで、軍歌にょりも爆弾よりも毒瓦斯よりも更に恐るべき猛威を逞うし、日本民族伝来の寶玉日本魂を去勢してアメリカ否フリーメーソンの奴隷となし捕虜となし、大日本皇国を一歩一歩占領しつつあるのであります。我々は断乎として此の肺病の如く癩病の如く梅毒の如く陰険悪辣執拗極まりなきフリーメーソンの三S政策なる亡国病を排撃すべく一斉に奮起し、之が根絶を期せねばならないのであります」
こうした神聖運動の反メーソンプロパガンダ(一種の宗教戦争)の対極として主張されているが、現人神天皇制の堅持と神国思想の鼓舞、そして、ユダヤの世界戦略に対抗する皇軍の大使命のプロパガンダである。
ここで展開された神聖運動の一つの流れは、「神国日本VS欧米ユダヤ・フリーメイソン」の図式であった。
神聖運動の反ユダヤ・反フリーメーソン主義は、大日本帝国と欧州諸国との軍事的対立を煽り、大日本帝国を崩壊へ引きずり込む経綸上の指針でもあった。
一、日本の非常時大国難の真相は、欧米列強よりもフリーメーソンの魔の手である。
「現在日本に在住してゐる猶太人は1千名に過ぎませんが、政界、学会、財界、或は思想界、映画界の有力者が多く、その後ろには全世界の猶太人が控えてゐるのです。加えるに彼等の金権に糸を引く財閥があり、彼等の政治、民政乃至議会中心主義、天皇機関説を謳歌する学閥があり政党があり大臣があり、又ダーウィンやマルクスの熱心なお弟子である赤い大学教授があり、赤や桃の学生があります。のみならず彼等フリーメーソンの忠実なる犬となり馬となって、命がけで国体破壊に活躍する共産主義があり、彼等の金力い操られ易い大小の新聞があるのであります。斯く観じ来れば日本の非常事態国難は、米国よりも、ロシアよりも、英吉利よりもフリーメーソンの魔の手にあると覚るべきであります」
一、フリーメーソンは、アメリカを拠点として三S制作により日本を内側から崩さんとしている。
「フリーメーソンが日本を倒さんとして現在最も力を注ぎつつあるものがスポーツ、セックス、スクリーンの三S政策であります」と述べて各論を展開した後、「右の三S政策は主としてアメリカより流れ込んで、軍歌にょりも爆弾よりも毒瓦斯よりも更に恐るべき猛威を逞うし、日本民族伝来の寶玉日本魂を去勢してアメリカ否フリーメーソンの奴隷となし捕虜となし、大日本皇国を一歩一歩占領しつつあるのであります。我々は断乎として此の肺病の如く癩病の如く梅毒の如く陰険悪辣執拗極まりなきフリーメーソンの三S政策なる亡国病を排撃すべく一斉に奮起し、之が根絶を期せねばならないのであります」
こうした神聖運動の反メーソンプロパガンダ(一種の宗教戦争)の対極として主張されているが、現人神天皇制の堅持と神国思想の鼓舞、そして、ユダヤの世界戦略に対抗する皇軍の大使命のプロパガンダである。
ここで展開された神聖運動の一つの流れは、「神国日本VS欧米ユダヤ・フリーメイソン」の図式であった。
神聖運動の反ユダヤ・反フリーメーソン主義は、大日本帝国と欧州諸国との軍事的対立を煽り、大日本帝国を崩壊へ引きずり込む経綸上の指針でもあった。
