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ハザールマフィアの陰謀…岩戸開き

五十音言霊原理を身に付けハザールマフィアの陰謀=資本の論理を打ち砕き共存共栄の道に進もう!

変貌した拝金国家日本

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mistoshi
黄金万能主義国家に変貌した拝金国家日本…ユダヤ黄金神に拝跪する伊勢の神主
GHQ高級将校のメーソン達は、日本の「精神的武装解除」を目指して、占領後すぐに神道指令(1945年12月)を出し天皇大権を支える精神文化の基盤(国家神道)を打ち砕くため国家と神道を分離させた。
またGHQは、一方において新旧キリスト教の教宣拡大を支援し、日本のキリスト教化を図ったが、入信者は1947年をピークに以後停滞することとなった。
国際政治学者ノ西鋭夫氏は、GHQの宗教政策について「GHQは、神道の隠れた力について強い関心を示した。神道こそ日本の凄まじい戦闘精神を駆り立てた神秘的な力があると信じたからだ。GHQの民間情報教育局(CIE)の宗教部は、神道を広範に調査し、分厚い報告書を幾つも作成した」(『国破れてマッカーサー』)と述べている。
彼等は、国家神道に頂点に立っていた伊勢神宮についても重点的・精力的に調査したことは想像に難くない。
彼等は、伊勢神宮にまつわる歴史の古層(元伊勢)をも掘り起こしたことであろう。そして、日本に明治後期・大正・昭和初期より起こっていた「日ユ同祖論」も知っていたことであろう。
「日ユ同祖論」の要点を簡潔にまとめると「日本皇室の源流はユダヤ人」、「日本の神道の源流はユダヤ教」となる。
伊勢石灯籠もこの二つの位相を重畳的に織り込まれているのであろう。
GHQ高級将校のメーソン達は、占領政策の置き土産に、「日ユ同祖論」を利用して、伊勢神宮外宮から内宮へ道筋に石灯籠のカゴメ紋を植え付け、そして奥宮の伊雑宮のカゴメ紋伝承を加え、伊勢神宮にまつわるユダヤの紋の伝承伝説が引き継がれることを意図していたのであろう。
彼等の足跡を隠すためこの石灯籠を占領時代に建立しなかったことこそ彼等の狡猾さの一つの証左であろう。
さらに石灯籠のもう一つのヒマワリ紋が、ヘロデ大王の紋を想定して彫り込んだのであれば、彼等は伊勢神宮をユダヤのエルサレム神殿とする新たなる「日ユ同祖論」を生み出さんとしていたこととなる。
GHQ高級将校(メーソン)らは、伊勢神宮の祭神アマテラス大神=ユダヤ神の等式にどのような思惑を込めていたのであろうか?
古代メーソンリーは、ユダヤ教を護持する秘密結社であり、ユダヤ教を死守するために「秘密力」により宗教戦争を展開する結社であったことを忘れてはならない。
しかし、彼等の意図とは全く別に、伊勢カゴメ紋の石灯籠は、岡本天明等により米国主導の金融資本主義崩壊(ユダヤ崩壊)の雛形経綸の舞台装置として利用されていたのである。
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カゴメ紋を彫るように要請した二荒伯爵

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mistoshi
カゴメ紋を彫るように要請した二荒伯爵…メーソン人脈に連なる伯爵?
この伊勢神宮関係者の矢野氏の言とは、まったく異なる「石灯籠に彫られたカゴメ紋」の由来について述べられているのが、前述した農学博士川瀬勇氏の調査による関係者の証言である。
川瀬勇氏が、石灯籠の制作者である石材会社の木藤昌宏氏にカゴメ紋等の由来を尋ねたところ「灯籠を作る時に、同氏は、まず上に菊の紋章を入れるのは良いが、中央の火袋にヒマワリの紋を入れるのは不要だと言ったそうです。しかし故ニ荒伯爵とその時の奉賛会会長であった前大阪タクシー株式会社社長の故森岡義照氏が、それを入れるべきだと強く主張されたので、それを中央に書き入れることになったそうです。…それではあの台座に彫ってあるイスラエル国の紋章はどんな理由で彫られたのかと質問しました。…そのカゴメ紋は、伊勢神宮の奥宮の『いぞうの宮』の御紋であるので、前述の二人の強いご意見により、これを彫って入れてあるのだそうです」(『日本民族秘史』)
次に依頼者の森岡義照氏の証言したカゴメ紋の由来を紹介しよう。
神道家石田博氏は、何故カゴメ紋が刻まれているか疑問に思い森岡義照氏の自宅を訪ねてその由来を聞いた経緯について同氏の著作『21世紀の新エネルギー』で次のように紹介している。
「森岡さんは私の問いに答えられて、『外宮の御神体の石に色々な記号が彫ってある。そこにカゴメ紋が彫ってあったもので、内宮と外宮を結ぶ意味である。一寸石の写真を見て貰いたい』と言われて一冊の本の古絵を見せて下さいました。天眼鏡でよく見ると、いやはや驚きました。それは星でありカモメ紋ではありません。『森岡先生もよくご覧ください。五角形の星型ですよ。』森岡さんは天眼鏡を持って『いやあ、森岡義照一生一代の失敗だ。取返しのつかぬ事をした。』と暫し無言」
このように伊勢神宮関係者、石灯籠制作者、石灯籠の政策依頼者の証言は、すべて相違している。
伊勢神宮関係者は、石灯籠製作に関わる当事者でないので証言の信憑性論議から外し、製作者側と依頼側の証言を比較するならどりらに信憑性があるか瞭然であろう。
依頼者側にとっては、カゴメ紋の刻印は、覆することができない既定方針であり、しかもその由来を陰密にしなければならない事情があったものと思われる。

石灯籠のカゴメ紋の謎

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mistoshi
「伊勢三宮奉賛献灯会」の石灯籠のカゴメ紋の謎…伊勢神宮穪宜の証言
伊勢の石灯籠に彫られたカゴメ紋について、伊勢神宮禰宜の矢野憲一氏は、「余談になるが、この両側の石灯籠にダビデの星のようなマークが刻まれている。これがイスラエルのシンボルマークに似るのでユダヤと皇祖神がつながるとの珍説ができ、しばしば問い合わせがある。まったく関係ない。
実は天皇陛下の御成婚記念ということで昭和33年頃、全国から献灯を募った石屋さんが外宮・内宮と志摩の伊雑宮を結ぶ道に計画し『伊勢三宮奉賛献灯会』を発足させ、三宮を象徴して日と月と星を組み合わせた印を作ったところ、偶然にもダビデの星と似たまで。だから神宮は全く関知しないのだが、古代史や宗教研究家が、いかにも古くから存在したように書物に記したので、疑惑の目を向ける人がたえない。このままでは迷信の種をまくからあえて記しておく」(『伊勢神宮』)と述べている。
しかし、伊勢市が、灯籠の老朽化に伴う撤去を審議した「平成19年度第1回経営戦略会議会議結果の概要」によれば、「この灯ろうは、昭和30年に設立された『伊勢三宮奉賛献灯会』という任意団体が、当時、伊勢神宮に奉納することを目的として、御幸道路と市道に三重県知事と伊勢市長の道路占有許可を得て建てたものであり、その後には、国道23号の拡張工事等に伴って、一部が宇治浦田街路広場に移設されている」と記されている。
前年度の同会議結果の概要記録を合わせると「伊勢三宮奉賛会」は、1955年にはすでに設立され、同年石灯籠設置の道路占有許可を得たことになっている。同団体は1964年解散し、その後「伊勢神宮献灯保存会」が維持管理を行い、そして(社)神宮環境振興会がその管理を引き継いだ。
同振興会は、2007年1月の記者会見の席上「現在の乱立している石灯籠は昭和31年に建てられた」と発表している。
今上天皇の御成婚は、1959年4月10日(婚約発表は1958年11月27日)であるが、石灯籠は、1956年にはすでに建立されていたのである。

近江より北伊勢へと祀られた御神体

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mistoshi
近江より北伊勢へと祀られた御神体…型国日本の中心地場に鎮座した黄金神
「大国常立大神 金山姫神 金山彦神」の御神体は、近江を経てユダヤの黄金万能主義の神と化して北伊勢へと移動していくこととなった。
この御神体の鎮座された地は、北伊勢の「湯の山温泉駅」の東に位置する菰野町の丘であった。
御神体の鎮座地を開拓したのは、白山義高の舅にあたる武智時三郎であった。武智時三郎は、1884年1月29日、四国愛媛県の大地主の家に生を受け、松山中学を中退し、小学校教員を経て、大本に入信し、大本の松山支部長として活動後、太道教の顧問に招聘された皇霊学(数霊学、言霊学、神霊学)の権威であった。
武智翁は、神典類の結論として神政の中心場としての聖地を探し出し、神都を築き、理想の国造りを志した。
そして、ある日「神世より流れ尽くせぬ長良川美濃尾張経て伊勢に入るかも」と無意識にくちずさみ、北伊勢鈴鹿山系に皇都を建設せんと、1946年12月8日岐阜より移住し、北伊勢菰野に活動の拠点を定めた。
そして、武智翁は、北伊勢こそ、日本列島の中央、東西南北の分岐点、統一の数五十の国、聖地なりとした。
1954年より武智翁は、この土地の開墾の労が重なり、やがて病の床に伏しがちとなった。
武智翁は、岡本天明の取り次いだ『日月神示』を正統な神示として認め、辻天水と協議の上、1955年、後継者として岡本天明を菰野に招聘した。
1955年8月岐阜より北伊勢に入った天明は、菰野の「湯の山温泉駅」近くの丘に武智、天水と協力して、神殿を建立し、この神殿を「極宮殿」と命名した。
天明等が、北伊勢菰野の丘に神殿を建立する頃、まるで申し合わせたかのように、伊勢では1955年に伊勢神宮の外宮、内宮及び伊雑宮を結ぶ道路に灯籠を奉献することを目的とした「伊勢三宮奉賛献灯会」が設立された。この会は、1956年より国道、県道、市道の約6キロにわたって650基を越える石灯籠を設置した。
この石灯籠には、ダビデ章の六芒星が彫られていた。
この石灯籠の建立は、結果的に岡本天明等のユダヤ崩壊の雛形経綸上欠くことができない舞台装置となっていたことから、伊勢カゴメ紋の謎を追ってみたい。

近江へ祀られた御神体

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mistoshi
近江へ祀られた御神体…ユダヤの黄金神へと変化した神
金銀財宝を司る神の御神体は、王仁三郎の指示で終戦後に、淡路島より「近江の滋賀県甲賀群大原市場」へ祀られた。
神業を共に行っていた辻天水側の「錦之宮」には、この御神体は、淡路島の前に琵琶湖で祀られていたという伝承がある。
歴史学者の林家辰三郎は、琵琶湖を中心とした近江地方は、弥生時代より多くの渡来人の集団が、日本海ルートで裏日本に上陸し定着して豪族化していった地であるとしている。
また農学博士川瀬勇氏は、自らの歴史観を生態学的民族歴史学と位置付け、日本民族史を研究してきた人物であるが、同氏は、滋賀県にユダヤ人が集団的に渡来定着し、近江商人はユダヤの血を引く人々であったと推定している。
王仁三郎も「イスラエル民族の12の支族のうち11は外国にある。日本にも一つの流れがあるが変質しているから本当のは少ない」、「イスラエルの12の支族は選ばれたのや。一番いいのが日本に来ているので日本民族だ」(『新月の光』)と述べ、古代日本にユダヤ人の渡来があったことを示唆している。
近江(江州)は、「ユダヤの型」が出る霊的磁場なのである。
王仁三郎の命により、「大国常立大神 金山姫神 金山彦神」の御神体は、近江に祀られることによって、世界経済の支配者(金銀財の支配者)ユダヤの黄金神としての霊的位相を獲得した。
また、白山義高は、王仁三郎に淡路島のユダヤ遺跡の開発を指示され、淡路島の洲本市で古代イスラエル文化遺跡の聖地を発見(1952年)したとしている。
ユダヤの黄金神の本質は、優勝劣敗・弱肉強食の市場原理を宗旨とする拝金宗の神である。
王仁三郎が、白山に下した御神体は、大国常立大神が、金銀財の支配者ユダヤを駆使して世界の立替え立直しを行うことを暗示していた。