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アラファトとの出会い

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mistoshi
佐高 ところで、そもそもさきほどのアラファトと朝堂院さんの出会いってなんだったんですか。
朝堂院 アラファトはですね、1970年代にわしは民社党の塚本三郎の面倒をみていたのですよ。事務所はパレロイヤルにつくっていた。わしは後藤田に言われて、裏の国対をやっておったんです。社会党の国際部の面倒も見ていて、国際部長の杉山(正三)というのがおったんです。社会主義インターナショナルという世界の政治組織があったんですが、これは西ドイツ社民党のヴィリー・ブラントが作った。
ヴィリー・ブラントがリーダーになって世界の社会党を集めたわけやね。それでそこの会合が世界各地であったわけです。英国やスウェーデンだとかで、ずっと会議をやっていく中でね、たまたまアラファトが記念講演をするときがあって。リスボンであったんです。ポルトガルの。そこへわしが行ったわけ。
そして、アラファトがアラビア語で演説をしていたわけですけど、英語のイヤホンしかなかったんですよ。だから日本語の通訳がないから、わしは意味がわからなかった。そこに1時間半いるんですよ。しかし、意味はわからないけれど、そのしゃべり方とか何かで全部通じたわけ。
何を言わんとしているかとかね、感じたわけです。だから意味はわからないけど、1時間半があっという間に終わっちゃったわけです。退屈せずに。そこでこいつはたいした野郎だとわしは思った。この男は中身が濃いと。
それでわしは出てくるところを待って捕まえたわけです。わしは日本のこういう者だ、一回ゆっくり、直に話をしてくれないかと言ったら、アラファトがわしを見て、「わかった。ベイルートへ来てくれ」と、こう言ったわけですよ。それでわしは向こうの秘書と話をして、その足でベイルートへ行った。
それで最初にベイルートの、彼の秘密の何かわけのわからないところへ夜中の2時ごろ、車で向かいに来たやつに連れて行かれた。それから親しくなって、ニカラグアのサンディニスタを応援するとか、ナミビア独立のヌジョマを応援するとか、ザンビアのルサカというところのSWAPO(南西アフリカ人民機構)の本部へ行って、いろいろな協力を、アラファトの代わりをやってあげたり。
アラファトにすれば、ちょっと面白い日本人が、いろいろ俺たちの仲間の救済に走り回ってくれるということで、好意的に見てくれたんですよ。それで日本へ呼んで後藤田に紹介したり、代官山にあったPLOの事務所も面倒見ていったわけですよ、当時ですね。
佐高 面倒というのはいろいろお金を中心として。
朝堂院 お金、お金。みんなお金、絶対に使うわけですよ。
佐高 当時はナミレイですよね。
朝堂院 ナミレイの仕事ではなかったですけどね。選挙運動と一緒で。
(後略)
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mistoshi
Posted bymistoshi

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