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横井秀樹と京都のつながり②

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mistoshi
佐高 最初のきっかけは何ですか、横井と。
朝堂院 最初は1967年ぐらいかな、大阪万博あたりのころですよね。横井が京都の山科というところにトーヨーボールというボウリング場をつくる計画を立てた。それでわしのところに京都の市会議員か府会議員か誰かから話が来た。ボウリング場をつくるから、手形を引き受けてくれと。だから横井の会社が手形を切る、わしは6年間の月々の金利をつけてもらう、それでわれわれの銀行で手形を換金する、そうすると横井は現金ができる。それでボウリング場をつくることができた、ボウリングも当時は流行っていた。手形はバンバン落ちていって損はないわけです。それからの知り合いです。
佐高 横井は何か面白いところがあるんですか。
朝堂院 いやいや変わっているよ、彼は。顔を見てるだけでも面白いし、しゃべり方でも、あんまり飽きないんですよ。
佐高 5000円札で払うとか、いろいろアイデアもあるし。
朝堂院 ああいうタイプは逆に人から好かれるんじゃないかね。
佐高 横井の息子の嫁さんが星由里子でしたが、すぐ離婚してますよね。それですぐにまた息子が再婚するときに、誰も仲人とかしたくないわけですね。私は山田さんにけっこう可愛がられていたんです。城山三郎が『乗取り』という横井をモデルにした作品を書いたんですけど、それで私の主人公である横井を取材しようと思ったら横井に断られて、全然ツテがなかったし、諦めたことがあったんです。それからずいぶん経ったあとに、山田さんから「なんだ、私に言ってくれりゃあすぐだったのに」と。変わった人を可愛がるところが山田さんにはあったから、横井さんはそういう人なんでしょうね。
朝堂院 愛される面もあるんじゃないかな、ああいうタイプは。
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mistoshi
Posted bymistoshi

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